STATEMENT

人類が衣食住のために、何万年もの歳月かけて作り上げたてきたテキスタイルづくりのなかで「人間と自然との関係性」をいまいちど紐解き、思考と感覚を合わせ持つ身体を使った創作活動をすることを目指し、自然の一部としての「人間」のあり方を模索しています。

 繊維素材を使ったものづくりは、人間が生きることに深く根ざしたものづくりです。テキスタイルを研究する事は、作ったその人を読み解く事でもあり、地域性を読み解くことでもあり、時代性を読み解く事でもあります。私はこのテキスタイルという素材を深く考察することによって、私達人類が「この先どのような未来を描けば良いか」ということを気づかせてくれる、重要な要素の一つだと考えています。

 私の創作活動は3つの大切な要素で成り立っています。アート、サイエンス、テクノロジーです。人間の行う創作活動において、この3つの要素は複合的に関係し合い存在しています。近年この3つの要素は分野として切り分けられ、同じ卓上で語られることはあまりありません。しかし、この3つの要素を言い換えると「サイエンス=体系的に理解する行為=デザイン=頭で考えること」「テクノロジー=社会集団が生産に際して技術を利用する方法=産業=身体で行うこと」となり、その2つの要素を組み合わせることで生まれるアウトプットが表現でありアートであると、私は思っています。アートとは言い換えると、未来に向けてアウトプットをする作業である為、時代の中で形を変えていきます。それは遠近法を用いた絵画や人間の身体の技術を最大限に生かした医術であったり、体の動きを極限まで極めた武術の数々などです。すなわち「アート=アウトプット=祈り=未来に植える種」であると考えています。

偏見を恐れずに言えば、美術館で展示される過去の作品はその時代のアートではあるが、過ぎ去ったアートであり、脱け殻としてのアートと考えます。重要なのは、今を生きている人間であり、未来に対して思い描くビジョンです。それらを形にしたり、表現する行為は非常に難儀な行為に違いはありません。そこで、そのための背景として「サイエンス」と「テクノロジー」を置き、表現することで、未来を動かしうる今の人間が作ることの出来る「アート」になるのではないかと思っています。

 その点、テキスタイルは「サイエンス」と「テクノロジー」の宝庫です。テキスタイルは人類が生まれてきてから生きるための衣食住として最も身近なものでありながら、何万年もかけて人類が研究と検証を重ねて生み出した非常に重要なマテリアルの一つでもあるといえます。未来の生活や祈りに向けて、その時代の「サイエンス」と「テクノロジー」を駆使して作られるテキスタイルは、その時代の「アート」となると定義付けることが出来ると思います。

 例を上げると、四大天然繊維である綿・麻・毛・絹が生産される土地からは、人類の文明の柱となる四大文明が生まれました。また、虫の繭から取り出す絹糸は世界中に広がる人類の物流を生み出し、文化の交流をも生み出しました。そして均一で生産的なテキスタイルを生み出すために発明された織機は人類の衣服と住環境に大きな変化をもたらしました。手織り機は、動力を使う動力織機として進化し、回転する機構は自動車の開発に繋がり、織物を織るための記憶装置はコンピューターの開発へと繋がりました。 今でこそ、すべての物は当たり前に存在するものとなっていますが、それらが初めて生まれた瞬間の衝撃は、人々の思考を180度反転させてしまうような力があったのではないかと推測します。それはまさに「アート」だったのではないでしょうか。

 そして、テキスタイルの「サイエンス」と「テクノロジー」は常に進化しており、今では鉄よりも硬い素材Spiber(スパイバー)など、未来の宇宙開発の足がかりとなるようなハイテクなものまで生まれています。

そんな、テキスタイルという土壌から見る「サイエンス」と「テクノロジー」は、何万年も前の石器時代から最先端の開発まで、いわば星の数ほど存在しています。それらを古いも新しいも組み合わせ、検証し、論を組み立て、私という身体表現を通して祈り、「アート」することで全く新しい未来を描けるのではないかと考えています。

 2022年2月22日 高須賀活良